- 技術と人間
- 2025年6月10日
AGIとDAOがひらく意思決定の未来――「任せる社会」から「関わる社会」へ
AGIが課題を最適化し尽くしたその時、最後に残るのは、「私たちはどう生きたいのか」という問いである。 記事要約 AI(AGI)の進化によって、作ることの苦労から解放される未来では、「どう判断し、どう関わるか」が人間の役割となる。こ……
すべてが複製できる未来、
本物を決めるのは信じる力だ。
完璧な複製が誰にでも可能になる未来、私たちは「何を本物と信じるのか」という問いに向き合うことになる。モノの価値は見た目や機能ではなく、物語や想いを信じる力に移っていく。NFTやDAOは、「これは確かにそこにあった」と未来に伝えるための小さな証明の灯台だ。
モノの価値が下がり、証明技術が進んでも、最後に残るのは意味を与える人間の力だ。技術そのものではなく、それをどう使い、誰と分かち合うかが未来の価値を決める。
火焔型土器の造形美、モナ・リザの微笑、推しのサイン入り色紙──これらすべてが「本物」であることに意味がある。しかし、私たちはこれから、その本物を見分けられない時代へ突入する。──それは、AIや複製技術が日常になる「2040年代の現実」かもしれない。
技術の進化は人類にとって素晴らしい贈り物だが、同時に「違いのない世界」を私たちにもたらす。質感も、色合いも、傷の一つまで、もれなく完璧にコピーされた品々があふれる未来。そんな世界で、私たちは何を信じて本物と呼ぶのだろうか?
NFT(非代替性トークン)は、この問いに対する一つの答えかもしれない。NFTとは、デジタルデータの唯一性を証明する技術だ。見た目では区別のつかない無数のコピーの中から、「これは確かに○○が作った、唯一のものです」と証明する。
「でも、それってスクリーンショットでいいじゃん?」そう思った人もいるだろう。私もそう思った。だが、本当にそうだろうか?すべてがコピー可能になる時代に、「これは本物だ」と、人々が信じられる小さな証明こそが、未来に希望を灯すかもしれない。
3Dプリンターは、すでに義足から建物、食べ物に至るまで、あらゆるものを「再現」できるようになった。医療では日本のXiborg社がオーダーメイド義足、建設では米国のICON社が家、食品ではFoodiniのような機械が複雑な料理を造形し始めている。こうした技術が分子構造レベルにまで進化すれば、もはや私たちは「本物」と「コピー」の違いを、見た目では区別できなくなる。
たとえば、千利休の茶碗、ツタンカーメンの黄金のマスク、あるいは隕石。それらが、質感・重量・素材まで含めて、完璧に再現されたとしたら、果たして「本物」の意味はどこに残るのか?
実際、現代においても、ルーブル美術館のモナ・リザなど一部作品は、保存と安全のために「精巧なレプリカ」が展示されている。だが、それを前にして「本物を見た」と感じてしまう私たちは、すでにある種の“価値の再定義”を経験しているのかもしれない。
このような時でも、まだはっきりと価値が残るのは「機能的価値」だ。例えば、切れ味のよいハサミは、たとえコピーであっても「切る」という目的を果たせれば、価値があると言える。
だが、そこには「文脈的価値」が欠けている。それが誰の手によって、どのような背景で作られたのか。どのような想いが込められ、どんな歴史を経てきたのか──そうした物語や固有性こそが、人がしばしば「本物」に感じる価値だ。
つまり、モノの価値は今後、文脈的価値を保証する「証明」によって左右されていく。その証明とは、「これは確かに○○が作ったものだ」という確かな記録や信頼のことだ。
ブランドも同じだ。ロレックスやルイ・ヴィトンのようなブランドは、素材や機能以上に、「そのロゴがついていること」自体に意味がある。だが、そのロゴすら完璧に再現できる時代において、ブランドの価値は、物理的なモノではなく、「文脈」の中にこそ宿るようになる。
だからこそ、NFTのような「所有と起源の証明」は、これからの世界で重要な位置を占めることになる。見た目でその違いを判断できなくなったとき、人は「何を信じればいいのか」という問いに向き合わざるを得ない。
完璧なコピーの時代は、モノの価値を問い直すだけでなく、「本物とは何か?」という、人間の感性そのものが試される時代なのだ。
NFTは単なるデジタル証明書ではない。真に価値を発揮するのは、「そのNFTがなければ〇〇は使えない」という場面だ。
たとえば、ゲームの中の伝説級アイテム。それがNFTで発行されていれば、どれだけ同じ見た目のデータが存在しても、それをゲーム内で使えるのは本物のNFTを持つ者だけだ。この「使える本物」という概念は、これからのデジタル社会で重要な軸になるだろう。
電子チケットも同様だ。美術館やコンサートに入れるのは、NFTとして発行された正規のチケットのみ。紙の偽造やデータの複製は、ブロックチェーンによって防げる。
実際に、米国のプロフットボールリーグNFLは、スーパーボウルの入場券の一部にNFTチケットを導入し、転売対策やファンエンゲージメントの向上に役立てている。さらにNFTは、メンバーシップや会員権、特定のサービスへのアクセス権など、「体験と紐づいた証明」として機能するようになっていくようだ。
このように「使用価値」を伴うNFTは、単なる“所有”を超えて、社会の中で“機能”する価値を持つ。10年後、私たちが出入りする空間、体験する出来事、手に取る知識――それらの「本物」かどうかを見極める基準の一つとして、NFTがごく自然に使われている──そんな未来は、意外とすぐそこに来ているのかもしれない。
しかし、NFTの本質的な価値は、使えるかどうかだけではない。もっと曖昧で、もっと人間的なもの──つまり、「これは意味がある」「これは私にとって誇らしい」という感情にこそ宿る。これを、文脈価値と呼ぼう。
たとえば、ドナルド・トランプが自ら描いたポップアートをNFTとして発行したとする。コピーはいくらでも存在する。だが、彼が「これは私が本当に描いた一枚だ」と言い、NFTで証明されたその一点は、MAGAファン※にとっては、かけがえのない本物となる。※Make America Great Againの略でドナルド・トランプの熱心なファンこと
同じように、ある小さな町の障害を持つアーティストが描いたデジタルアートを、NFTとして販売する。それを買った人は、アート自体の利用よりも、その人と町を支援したという物語に意味を見出すかもしれない。NFTは、その「文脈」を記録し、保証するためのツールにもなり得るのだ。
もちろん、それは自己満足かもしれない。気分の問題かもしれない。しかし、「気分」や「意味」に価値を感じるのが人間という存在だ。デジタル時代におけるアートの所有とは、ただスクリーンに映すことではなく、「これは誰が、なぜ、どんな想いで作ったのか」という背景ごと“持つ”ことだ。NFTは、その背景を結びつける証明書として、今までにない「デジタルな感動」を生むかもしれない。
だが、忘れてはならないのは、NFTがかつてバブルと呼ばれるほどの熱狂を経験したという事実だ。
2021年、ピクセルアートやミーム画像に数千万円の値がつき、投資家や著名人が殺到したあの時代。我々日本の不動産バブルのように、その多くは文脈ではなく「話題性」や「金儲けのチャンス」として扱われ、意味を伴わないまま膨張していった。そして、その熱狂は短い時間で音を立てて破裂した。
けれど、それでNFTが終わったわけではない。むしろ、あのバブルが弾けたことで、本当に残る価値とは何かが浮き彫りになったのだ。
NFTの真価は、投機的な価格でも話題性でもない。人と人の間に流れる「想い」や「物語」を、確かに証明して残せること。そこにこそ、技術を超えた人間的な価値が宿っている。
ロレックスの時計を持っている。ルイ・ヴィトンのバッグを愛用している──それだけで「何かを証明できた」時代があった。
だがその“証明”は、この先も同じように機能し続けるのだろうか?
未来には、誰もが自宅の3Dプリンターや近所のAI工房で、ブランド品と見分けのつかない製品をつくれるようになるかもしれない。素材、質感、ロゴ、さらには「使用感」や「経年の風合い」まで再現可能になるかもしれない。もはや「模倣」は違法行為ではなく、誰もが当然にできる選択肢になっていく可能性すらある。
では、そのときブランドの価値はどこに残るのだろう?
一つの答えは、NFTによる「製造時点での証明」だ。たとえば、PUF(物理的に複製不可能)チップとNFTを紐づけて管理すれば、「これはどこで、いつ、誰によって作られたか」をブロックチェーン上に記録できる。スキャン一つで“本物かどうか”を確かめられる世界。──そんな未来はすでに始まっている。
しかし、その証明すら完全ではない。
技術が進めば、PUFチップごと模倣する手段も登場する。あるいは、ブロックチェーンそのものが、分岐やハッキングにさらされる可能性もゼロではない。つまり、どれほど証明技術が進化しても、「ブランドは永遠に信じられる」という保証はないのだ。
それどころか、技術の民主化が進めば進むほど、誰もが自分のアイデアを手軽に形にできるようになる。そうなれば誰もが「自分ブランド」を立ち上げられる時代がやってくる。今までは限られた企業だけが享受していた“信頼”という価値を、世界中の個人が競い合うようになるだろう。
そのとき、「老舗ブランド」はどうなるのか?
もちろん、蓄積された歴史や物語は圧倒的な強さがある。しかし、それだけでは不十分になる。NFTのような証明技術をどう活用するかだけでなく、「信頼をどう維持するか」という運営の哲学まで問われるようになる。
ここで、もうひとつの重要な技術が登場する。
それが DAO(分散型自律組織) だ。
DAOとは、このブログでも何度か紹介しているが、「中央の管理者を置かず、参加者の合意とプログラムによって運営される仕組み」のことだ。
未来のロレックスが、中央集権的な企業ではなく、ブランドを愛する世界中のコミュニティによって運営されるDAOになる可能性もあるだろう。NFTの発行、ルールの変更、製品の真正性確認などが、参加者の合意によって管理されていく未来だ。
DAOによって証明の信頼性が高まることは期待される。それは、証明のルールや記録が一部の管理者の判断に左右されず、ブロックチェーン上で透明かつ改ざん不能な形で管理されるからだ。
だが同時に、DAOが人間の熱量とつながりに依存する生きた組織であることも忘れてはならない。参加者の関心が失われれば、証明の意味も薄れていく。そこには「技術」では解決できない、人間的な連帯が求められるのだ。
つまり、NFTやDAOによって「これは本物です」と証明できたとしても、それだけでは不十分だ。
人が心を動かされるのは、証明そのものではない。
その背景にある「物語」や「共感」であり、「このブランドは信じられる」と思える感性と関係性だ。
ロゴの裏にあるストーリー。製造の向こうにある理念。
それらを“感じ取れる何か”がなければ、NFTもDAOもただの技術にすぎない。
だからこそ、未来においてブランドが価値を持ち続けるためには、証明の精度と同じくらい、物語の更新と共感の育成が重要になる。
NFTは、その両方を支える“設計図”にはなれる。
だが、それを魂あるブランドにするのは、私たちの「信じようとする意思」なのだ。
ほとんどのモノは、これからどんどん「安く」「簡単に」「誰でも」作れるようになる。服も、車も、家具も、家さえも。欲しいものはAIが設計し、パーツごとに3Dプリンターで出力し、ロボットが完璧に組み上げてくれる。
そうした未来の一端は、すでに現実となっている。例えば、日本のカブクのような企業は3Dプリンターを活用したオンデマンド製造で、従来の金型製作が不要となり、試作コストを最大90%近く削減できたケースも報告されている。
つまり、物理的な「所有」には、今ほどの価値はなくなる。それでも、私たちは単純に何かを「持ちたい」と思うのだろうか?その答えは、「物語」や「つながり」にある。NFTは、そうした目に見えない価値を可視化する技術になりうる。
たとえば──かつて地元の陶芸家が作った、唯一無二の器。ある年の祭りで使われた、お面のデザイン。祖父母が残した、手書きのレシピ。これらをNFTとして残すことで、物の形は失われても「存在の意味」は次の世代に伝えられる。
物の価値が下がる時代。それは、価値そのものが消えるのではなく、見え方が変わるということだ。所有の喜びから、共感の共有へ。実体の交換から、関係性の記録へ。NFTは、そうした価値の受け渡しを担う、新しい器なのかもしれない。
私たちは、ますます“見分けのつかない世界”へ向かっている。モノの違いが曖昧になり、すべてがコピーできるようになり、ブランドの価値さえも揺らいでいく。
それは不安にも思える未来だ。だが、違う見方もできる。それは、「信じる」という行為が、より意味を持つ世界だということ。
この絵を信じる。 この体験を信じる。 この人とのつながりを信じる──。
NFTは、信じるための小さな技術にすぎない。けれどその小さな仕組みが、未来に「これは確かにそこにあった」と言える灯台のような存在になるかもしれない。大量生産の時代が終わり、あらゆるものがパーソナライズされていく中で、私たちにとっての本物は外側ではなく、内側から立ち上がってくる。
「これは、私にとって本物だ」と言える感性こそが、未来において最も大切な価値になるのかもしれない。NFTは、その“感性の橋渡し役”だ。正しく使えば、私たちの生活はより豊かに、より意味深くなっていく。
そして、どれほど技術が進んでも、人間にしかできないことがある――それは、「意味を与える」ということだ。NFTの未来に、万能な魔法はない。けれど、それをどう使い、何を守り、誰と分かち合うか。それは、私たち次第だ。
信じる力と、つながる意思。その二つがあれば、技術はきっと、私たちの味方になる。
AIやブロックチェーンといった技術の進化を、「人間の存在意義」や「社会のあり方」を見つめ直す契機として捉えています。 哲学、教育、芸術、感情など、人間的で本質的な領域を軸に、テクノロジーとの調和による希望ある未来像を模索しています。 複雑化し、分断が進む時代だからこそ、「人と社会のつながり」を再定義することが、人間本来の姿を取り戻す鍵になると信じています。