未来にお金は必要か?──DeFiとゼロ知識証明が変える“価値の正体”

AIが生産を代替する未来は、
信頼が通貨になる未来。

記事要約

AIやロボットが生産の担い手となる未来、私たちは「富を誰が、どう分けるのか」という本質的な問いに直面する。お金の意味が変わる時代、価値の基準は資産や肩書きではなく、信頼や貢献にシフトしていくかもしれない。DeFi(分散型金融)やゼロ知識証明といった技術は、中央の権威に依存せずに“信頼”を記録・証明する手段として注目されている。お金の前に変わるべきもの。それは、価値を生み出す「人のあり方」なのだ。

「もうすぐ、お金のために働かなくていい未来が来る」

そんな言葉を聞けば、多くの人は思わず笑うことだろう。「理想論だ」「夢物語だね」と。けれど、気づけば私たちは、その入り口に立ち始めている。

AIは文章を生み、ロボットが建設をこなし、ドローンが農業を担う。かつて誰かの“仕事”だったことが、急速に自動化されつつある。それは単なる補助ではなく、すでにAIは知識労働においても人間を凌駕し始めている。コードを書き、戦略を練り、研究を加速する──これは“代替”ではなく、“進化”だ。

こうした流れの中で、近年特に注目されるのが、「AGI(汎用人工知能)」の到来である。AGIとは、言語作成や計算、創造的思考など、これまで人間にしかできなかったあらゆる知的作業を、状況に応じて柔軟にこなす“万能型のAI”を意味する。これまでのAIが特定のタスクに特化していたのに対し、AGIは“あらゆる課題に自律的に対応できる存在”として構想されている。

Google DeepMindの創業者シェーン・レグが「AGIは2030年までに実現する可能性が高い」と語り、OpenAIのCEOサム・アルトマンも「数年以内にAGIに近づく」と公言するように、AIとロボットが社会の“生産”を担う未来は、もはや空想ではなく、現実として準備すべき段階にあるのだ。

ではそのとき、テクノロジーによっては新たに生み出される富は誰の手に渡るのだろうか?
そして──その富を、誰がどうやって分けるのだろうか?
この問いこそが、これからの時代に最も根源的で、避けては通れない問題となる。

もし生産の主役がAIやロボットになるなら、人はどう収入を得ればいいのか。
働かなくても生きられる社会は、本当に訪れるのか。
それとも、ごく一部の資産家だけが富を独占し、我々は取り残されてしまうのか──。

こうした未来像が現実味を帯びるなか、いくつかの国家や企業は、迫りくる未来に向けてビットコインやイーサリアムを大量に保有し始めている。
彼らは、未来においてトークンの保有が「富の分配の決定権」に直結すると見ているのだろうか──。

ブロックチェーンが目指したのは、誰もが平等に参加できる“非中央集権”の社会のはずだ。
けれど、資産の偏在が進めば、発言権も、影響力も、また一部の手に集まってしまう。それは、ブロックチェーンが夢見た“自律分散的な参加型社会”とは、程遠い未来になりかねない。

だからこそ、今問われるべきなのは、「誰が、何を根拠に、意思決定に関わるべきなのか?」ということである。
単に「どれだけ多くのトークンを持っているか」が、発言権の根拠になるのか?
それとも「どれだけ社会に貢献してきたか」が、その正当性を支えるのか?

資産ではなく、信頼。富ではなく、共感。
──それらが未来の「発言権」の基準になる社会を、私たちは本当は目指していたはずである。

そして、もしもそんな未来が訪れたとき、「役に立つ」とは何を意味するのだろう?
「信頼される」とは、どんな記録を指すのだろう?

こうした“判断”の根拠を、なるべく中立に、そして透明に扱うための技術──それが、DeFi(分散型金融)であり、ゼロ知識証明(ZKP)なのだ。

お金の性質が変わる前に、きっと私たちの「信頼の形」が変わっていく。そこに、本当の意味での“新しい経済”が芽吹き始めるだろう。

「信頼」は誰が証明するのか──ゼロ知識証明という新しい信頼通貨

機械が生産を担う時代の「人間の役割」

AIやロボットが富を生み出す社会において、私たちはこれから、「人間はどんな形で社会と関わっていくのか」を問われ始める。

そのとき、人間の価値は、どこに宿るのだろう。

何が「役に立つ」とされ、何が「分配」に参加する資格と見なされるのだろう。
──この問いに対して、いま静かに浮かび上がってきているキーワードが、「信頼」である。

それは単なる好意や印象のことではない。
社会の中でどう生き、どんな行動を積み重ねてきたか──そうした“見えにくい履歴”こそが、未来の経済における価値の源になり、社会への貢献度を証明する

そして、それが富の「分配」に参加する資格へとつながるかもしれないのだ。

信頼が“通貨”になる時代

「働いて稼ぐ」時代が終わり、「貢献によって信頼を得る」ことが価値になる社会では、信頼そのものが“通貨”のような役割を果たす可能性がある。

しかし、この「信頼」は目に見えない。

デジタル化が進むほど、行動履歴は記録される。一方で、その記録が中央集権的なシステムに集中すれば、改ざんやプライバシー監視のリスクが高まる。信頼を証明する仕組みがなければ、これらのリスクは日に日に深刻になっていく。

だが、信頼の証明を自分で管理できるなら、誰かに監視される必要はなくなるはずだ。
たとえば、自分の行動履歴をスマホやデジタルIDに保存し、必要なときだけ必要な相手に見せる。
そんな仕組みが可能になるなら──プライバシーが保護され、データ悪用といったリスクを回避できるだろう。

そして、それを可能にするのが、ゼロ知識証明という技術だ。

ゼロ知識証明:匿名性を保ちつつ信用を証明する技術

ゼロ知識証明(Zero-Knowledge Proof)。
これは、自分が“ある情報”を持っていることを、相手にその中身を一切見せずに証明できる技術だ。まるで、「この箱の中に宝石がある」と言いながら、その箱を開けずに納得させる──そんな魔法のような仕組みである。

たとえば、ある農村地域のためになんらかの活動をした人がいたとしよう。従来であれば、その事実を証明するには記録写真や報告書、関係者の証言が必要だった。だがゼロ知識証明を使えば、「その人が正しく活動した」という“証明だけ”が残り、本人の顔や名前、住所などの個人情報を晒す必要はなくなる。

つまり、「どんな活動をしている、どこに住んでいる人か」ではなく、「確かに社会に貢献したきた人である」という“信頼”だけを、暗号化されたまま証明できるのである。

この「匿名性と信用性の両立」は、これからの時代において非常に重要な意味を持つだろう。

未来社会における「富」は、単なる通貨ではなく、信頼や評価の対価として、社会から“分配”される価値そのものを指すようになる可能性があるのだ。
そしてそれは、「どれだけ社会に貢献したか」によって判断されていく。

評価の基準は、SNSのフォロワー数や金銭的な資産といった外面的な数値ではなく、日々の中で積み重ねられてきた“信頼の履歴”に重きが置かれるようになっていくかもしれない。

では、その信頼の“中身”とは何か?

それは、肩書や財産ではなく、これまでにどんな行動をし、何に力を尽くしてきたかという、生き方の履歴そのものである。
人間関係も、意思決定も、経済活動も、すべてが「信頼を軸に動く社会」において、そうした履歴を誰にでも証明できる形にしておくことは、あらゆる活動への参加の前提となる。

ゼロ知識証明は、私たちの「信頼」を切り取り、持ち運び可能なかたちに変えてくれる。
しかも、それをいつ、誰に、どの程度見せるかは、自分で選ぶことができる。

自ら選んで差し出す信頼──それは、これからの社会における、新しい「通貨」になるのかもしれない。

お金の意味が変わる──DeFiが導く、中央のいらない経済

誰もが“銀行”になれる時代

お金の流れを決めるのは、ほんの一握りの誰か──。
そんな時代が、終わろうとしているのかもしれない。

DeFi(ディーファイ)は、「Decentralized Finance(分散型金融)」の略称である。これは、銀行や証券会社のような中央の仲介機関を必要とせず、インターネット上で誰もが金融サービスを利用・提供できる仕組みだ。
たとえば、自分が持っている仮想通貨を他人に貸して利子を得たり、通貨を交換したり、投資して報酬を受け取ったりできる。そう、誰でも“銀行業”ができるということだ。

これまで金融は、国家や大企業のもとに集中してきた。資産を預けるにも、融資を受けるにも、必ず仲介者がいて、その判断と手数料を受け入れる必要があった。だが、ブロックチェーンとスマートコントラクトによって、これが大きく変わり始めている。

スマートコントラクトとは、条件がそろえば自動的に実行される契約プログラムのことだ。これにより、信頼性のある取引が、人の介入なしにコードだけで完結できるようになった。言い換えれば、「信用」は中央機関ではなく、オープンなルールと透明なコードの上に成立するようになったということだ。

信頼は「コード」と「記録」で構築される

たとえば、Aave(アーベ)というDeFiプロジェクトでは、誰でも銀行を介さずに仮想通貨を貸し借りでき、貸し手は利子を自動的に受け取れる。Uniswap(ユニスワップ)では、ユーザー同士が直接通貨を交換でき、その仕組みはすべてスマートコントラクトによって動いている。

これらの取引は、すべてブロックチェーン上に記録され、改ざんができない。つまり、どのウォレットが、いつ、どのような金融行動をとったかという履歴が、誰でも確認できる状態で残るのだ。

このような仕組みにより、「信頼」は仲介者の保証ではなく、透明な記録とオープンなルールによって支えられる。

DeFiは、単なる通貨の交換手段ではない。誰でも金融活動に参加でき、その履歴が信用として蓄積されていく──そんな、新しい経済のかたちを示している。

つまり、個人でも組織でも「経済の当事者」となれる時代が始まっているということだ。価値の流通と分配は、中央の指示ではなく、オープンな仕組みとルールによって進められる。中央に頼らない経済が、現実として立ち上がりつつあるのだ。

「お金」は“貢献の証明”に近づいていく

DeFiにおいて発行されるトークンは、必ずしも通貨とは限らない。それは、個人が「どんな行動をしたか」「どんな信頼を積み重ねたか」という履歴を証明するものにもなる。これにより、経済的な見返りだけでなく、発言権やプロジェクト参加資格など、コミュニティ内での役割にもつながっていく。

言い換えれば、お金の意味が“交換の道具”から“貢献の証明”へと変わっていくのが、DeFi時代の経済の特徴である。

もちろん、DeFiにはまだ多くの課題がある。詐欺的プロジェクト、スマートコントラクトのバグ、急激な投機など、リスクも現実的だ。だが、技術的な整備とともに、それらへの対処も進んでいる。

何より重要なのは、中央に依存しない「経済の自由」が、すでに誰の手にも届くところに来ているという事実である。

お金が流れる先を、ほんの数行のコードが静かに決めていく。
そこには、誰かの判断も、忖度もいらない。
必要なのは、信頼と、記録と、透明なルールだけ──。
DeFiは、金融を一部の人の手から解き放ち、全員が参加できる新しい経済の扉を開いている。

そしてその先では、私たち一人ひとりが「価値とは何か」「信用とは何か」を問い直す社会が、静かに始まりつつある。

「与えること」が価値になる──富の分配とDAOの未来

未来の「富の配分」を担う自律分散型組織

AIが富を生み出し、DeFiがその流れを開き、ゼロ知識証明が信頼を証明する手段を与えた。では、その次に待っているもの──「富の配分」は、どう行われていくのだろうか。

これまでの経済では、“生産”されたものに対して報酬が支払われるのが常識であった。
だが、生産の主役がAIやロボットに代わった未来において、人間が担うのは、「情報」や「モノ」ではなく、感性・共感・支援・つながりといった、非物質的な価値を“与える”ことになるかもしれない。

たとえば、ある人がコミュニティ内の課題を発見し、それを広く共有したとしよう。あるいは、困っている誰かに寄り添い、対話によって安心感を与えたとしよう。そうした行為が、目には見えにくいが、確かに社会にポジティブな波紋を広げる「価値」となる。

このような価値を認識し、その貢献に報いようとする仕組み──それが、DAO(自律分散型組織)である。

信頼と共感で動く新しい組織のかたち

DAOとは、「Decentralized Autonomous Organization」の略で、特定の管理者や会社を必要とせず、あらかじめ設定されたルール(スマートコントラクト)によって自律的に運営される組織形態を指す。参加者はトークンなどを通じて意思決定に関与し、貢献に応じて報酬や権限が配分される。

DAO的な仕組みでは、「共感」や「信頼」が発言力の根拠となっていく。つまり、誰がどれだけ“貢献してきたか”や“人々から信頼されているか”が、未来を決める力の源になるのだ。

このDAO的構造の本質は、「一方的な指示と服従」ではなく、「循環的で平等な関係性」にある。
DAOでは、スマートコントラクトによって参加者の行動や貢献が自動的に記録・評価され、その貢献度に応じてトークンが報酬として分配されたり、投票権として意思決定に反映されたりする
誰がどれだけ貢献したかをコミュニティ全体で見極め、その信頼と行動履歴に基づいて資源が再配分されていくのだ。

DAOの設計次第で、「何を貢献とみなすか」「どんな行為に価値を認めるか」という前提そのものが、大きく変わっていく。だからこそ、「共感」や「つながり」といった人間らしい感性が、評価の基準として組み込まれることが重要になる。

なぜなら、それが「誰が社会に参加できるか」「誰の声が届くのか」を決める土台になるからだ。

「受け取ること」もまた、価値である

「貢献」と聞くと、多くの人は“何かを作り出すこと”や“意思決定に参加すること”を思い浮かべるかもしれない。だが、社会とは一方通行では成り立たない。誰かの表現に触れること、耳を傾けること──それらもまた、循環の一部である。

DAO的な社会では、“提供する人”と“受け取る人”の境界が曖昧になり、「参加すること」そのものに価値が宿るようになっていく。

たとえば、SongCampのような音楽DAOでは、アーティストだけでなく、リスナーやファンもまた「参加者」として扱われる。
楽曲への感想、SNSでのシェア、コメントの投稿といった行為がブロックチェーン上に「貢献」として記録され、その活動量や質に応じて、次回の制作支援トークンの配分に反映される──そんな仕組みがすでに現実化しているのだ。

このように、貢献とは必ずしも生産的な行為ではない。

“感じること”、“共鳴すること”、“受け取ること”──誰かの文章に心を動かされたり、その活動に共感して応援の言葉を贈ったり。そうした一見見えにくい行為も、社会的な信頼の一部として記録される時代が来るかもしれない。

それは、コードやAIではとらえきれない、人間特有の感受性や関係性のなかで生まれる──繊細な心の響きそのものが、これからの社会で価値を持つようになっていくかもしれないということだ。

感性の記録が「存在の重み」となる未来

このような仕組みにおいては、利他的な行為や創造的なアイデアが、これまで以上に報われやすくなる可能性がある。
しかもそれは、単なる貨幣価値に換算されるのではなく、DAO内の信頼スコア、アクセス権、発言力など、存在の重みとして積み重なっていく。

DAOは、そのような価値の広がりを受け止める器として進化しつつある。

つまり、「誰かのために動いた人が、正当に報酬を受け取れる」という循環が、プロトコルとして設計されはじめているのだ。

富の再分配とは、「搾取されない仕組み」ではなく、「共感と行動を評価する仕組み」へと変わろうとしている。

ここで重要なのは──人間の存在は、まだ社会の中で意味を持ち続けるという希望である。

AIやコードが人間を凌駕する合理性と速度を持つとしても、「共鳴の余韻」や「沈黙のなかの理解」など、目に見えない“間”を感じ取る力は人間に特有のものだろう。

誰かの気配に気づき、言葉にならない思いを感じ取る。
こうした小さな「気づき」や「思いやり」こそが、社会を動かす見えない価値を生み出し続けている。

DAOは、共感のうなずき、さりげない助言、あるいは「ありがとう」のひと言といった微細な振動をも記録し、認識し、正当に評価する可能性を秘めている。
もしそのような世界が訪れるとすれば、私たちは「人間とは何か」という問いに対し、合理性ではなく、つながりと信頼の中で「社会を動かす責任」を担うようになるのかもしれない。

「決めること」が社会になる──合意形成と信頼のデザイン

意思決定の主役は誰になるのか?

かつて社会の方向は、資本、地位、肩書きといった「持つ者」が決めてきた。しかし今、AIが富を生み出し、DeFiが金融を変え、DAOが分配を担い、ゼロ知識証明が信頼を可視化する時代において、「誰が、何を根拠に、意思決定に関わるべきなのか」という問いが、改めて社会の根幹に投げかけられている。

ブロックチェーン技術が目指す非中央集権の理想とは裏腹に、トークンの大量保有者が発言力を強めるという、旧来の富による支配構造が再来するリスクも存在する。

だからこそ問うべきだ。

未来において、誰が「声を持つべきか」──その正当性はどこから生まれるのか。社会の方向を定める判断は、もはや一部の富裕層や専門家だけのものではないはずだ。

「信頼」が判断の新たな根拠となる

分散的な意思決定を支える鍵は「信頼」にある。

ここで言う信頼とは、一時的な印象ではなく、社会の中でどう生き、他者の意見にどう耳を傾けてきたかという「履歴」「文脈」「共感」の積み重ねを意味する。
富を持つことよりも、「社会の中でどう生きてきたか」という記録が、信頼の新しい基準となるのだ。

そして、この信頼が具体的な「声」となり、意思決定に影響を与える。例えば、DAOにおいては、単に保有するトークン数だけでなく、過去の貢献度や信頼スコア、特定のコミュニティ内での活動履歴が、意思決定における投票権や発言の重みに反映されるような仕組みが設計されつつある

ゼロ知識証明は履歴を秘匿したまま証明を可能にし、トークン設計は文脈に応じた発言の重みづけを可能にする。AIは多様な意見の中から共通項を可視化し、合意形成を支援する。

こうした技術の組み合わせによって、「信頼に基づく判断」はより柔軟に設計されていくだろう。

誰かの活動を手伝った履歴や、対話のなかで寄り添ってきた記録。
そうした行動の蓄積が、未来の意思決定において評価されるようになるかもしれない。
つまり、かつての「肩書き」や「所属」に代わり、「共に過ごした時間」や「どれだけ他者を支えてきたか」といった共鳴の履歴が、誰の意見が重視されるべきかという“判断の基準”になるということだ。

技術と共感が織りなす“しなやかな合意形成”

DAO的な社会で求められるのは、単なる多数決ではない「納得のプロセス」である。
AIやゼロ知識証明、DeFiといった技術は、対話の基盤を強化し、発言のバランスを調整するツールとなりうる。しかし、「納得」を生み出すのは、やはり人間の共感力であり、だれかの声に耳を傾ける姿勢だ。

いかにテクノロジーが進化しても、信頼や共感は一瞬では生まれない。

数値に置き換えられない「生のつながり」こそが、合意形成の土台として決定的な役割を果たすだろう。
DAOやAIは、その対話を支える環境や道具であり、主役ではない。対話の質は、私たち自身の姿勢にかかっているのだ。

これからの社会では、「生きること」とは「ともに作ること」ではなく、「ともに決めること」になる可能性がある。

どんな制度を選び、何に投票し、どのような未来を描くのか──その一つひとつの選択が、社会への参加の証となる。そしてその「判断」は、一人のリーダーによってではなく、無数の人々の声や行動の積み重ねによって形成されていく、意思の集まりとなるだろう。

私たちは「政治」や「行政」の意味さえも書き換えることになるかもしれない。
これはもはや遠い未来ではなく、DAOやゼロ知識証明、そして共感に基づく社会設計が、すでに動き出している「いま」の現実なのだ。

「役に立つ」とは何か?──価値観の変化と人間の再定義

「役に立つ」の定義が変わる未来

「役に立つ」とは、いったいどういうことなのだろう。
それは、何かを生み出すことだろうか。誰かの課題を解決することだろうか。あるいは、数字で測れる結果を出すことだろうか。

私たちは長いあいだ、“役に立つ人間”であることを求められてきた。

効率よく、論理的に、スピーディに。
教育も、雇用も、制度も──「社会にとって必要な存在」になることを前提として、設計されてきたのである。

しかし今、富を生み出す仕事の多くをAIが担いはじめ、人間の「機能」が代替されつつあるなかで、この前提は静かに揺らぎはじめている。

私たちは、これからも生きていていいのだろうか。
もはや“役に立たない存在”となったとき、人間は何によってその価値を認められるのか──この問いは、静かに、そして深く、私たちの内面を叩いてくる。

だが、この問いの先にこそ、新しい価値の芽があるのだ。
これからの時代、「存在の重み」は、かつてとは明らかに異なる場所に宿りはじめることになる。

感性こそが「真の価値」となる経済へ

たとえば、誰かを見守ること。
特別な言葉をかけられなくても、そっと寄り添うこと。
あるいは、ひとりで泣いている人を、責めることなく受けとめるまなざし。

そうした“非生産的な行為”は、これまで評価されにくかった。
だが、まさにそれこそが、人間が人間である証なのではないだろうか。

与えること。支えること。つなぐこと。祈ること。
直接的な成果を生まないそれらの営みも、社会の中で人と人をつなぎ、関係に深みや温もりをもたらしている。

DAOやゼロ知識証明といった技術は、これまでの経済システムでは見過ごされがちだった、こうした非効率的で非物質的な貢献の形を「価値」として捉え、記録し、正当に評価する可能性を開きつつある。

例えば、DAOの仕組みでは、共感に基づく行動や、コミュニティ内での非公式なサポート、感情的な労働といったものが、透明性のある形で記録され、参加者間の合意によってトークンとして報酬化されたり、発言権に反映されたりする。

また、ゼロ知識証明を用いることで、プライバシーを保護しつつ、そうした貢献の「事実」だけを証明できるため、個人の活動が不特定多数に開示されることなく、社会的な信頼として蓄積されていく。

そしてその技術の先に問われるのは、私たちがどのような価値観で“人間”を定義しなおすのかということだ。

もし、社会が「誰かを支えた時間」や「傷ついた人の声に耳を傾けた履歴」をもって、信頼として記録できるとすれば──そこに生まれる経済は、もはや貨幣では測れない“あたたかさ”を持ち始めるはずだ。
それは、技術ではなく、「感性」がつくる経済である。

感じ取る力。揺れる力。震える力。
合理性の外側にあるそれらの“揺らぎ”こそが、人間がこの世界にもたらす真の価値なのかもしれない。

優しさが回る経済へ──新しい豊かさの始まり

AIとロボットが知識労働や物理労働を肩代わりし、社会に新しい価値や富を生み出す。
DeFiは、それらの富の流通経路を中央機関に依存せずに開放し、誰でもアクセスできる仕組みを築く。
DAOは、その富を誰にどれだけ配分するかという意思決定を、参加者全体の合意によって行い、共感や貢献に基づく分配を実現する。
そしてゼロ知識証明は、「その人が本当に信頼に足る行動をしてきたかどうか」を、プライバシーを守りながら証明し、信頼に基づく参加の正当性を支える──。

そんな世界がもし本当に訪れるとすれば、お金とはいったい何だったのかという根源的な問いに、私たちは立ち返らざるを得なくなるだろう。

働かなくても食べていける。所有しなくても必要なものにアクセスできる。
そうした社会が少しずつ現実味を帯びる中で、「お金がいらない」という言葉は、かつては非現実的な夢として扱われていた。
けれど今、それは現実の選択肢として、「本当にお金がなくても回る社会は作れるのか?」という問いかけへと変わりつつある。

だが、それは「すべてが無料になる」という意味ではない。
ましてや、「努力しなくてもいい」ということでもない。

“お金がいらない”という未来とは、「お金というかたちでしか価値を認識できない社会を超えていく」ということである。

つまり、価値の測り方そのものが変わるのだ。
役に立つとは何か。信用とは何か。人間らしさとは何か。
そうした問いに向き合い直すなかで、これまで「お金」だけが背負っていたはずの重荷が、少しずつ分解され、別の形へと解き放たれていく──そんな未来が見えてくる。

「本当の価値は、何か」
私たちは今、その問いの扉の前に立っているのかもしれない。

しかし、この未来は、私たちがどのような選択をし、どのように技術を使いこなすかにかかっている。
単に技術が進化すれば達成されるものではなく、人間が主体的に「信頼」と「共感」を育み、新しい価値を創造していくための、希望に満ちた可能性なのだ。

この記事を書いた人 Wrote this article

Naoto Kaitu

Naoto Kaitu 哲学者・経営者 / 男性

AIやブロックチェーンといった技術の進化を、「人間の存在意義」や「社会のあり方」を見つめ直す契機として捉えています。 哲学、教育、芸術、感情など、人間的で本質的な領域を軸に、テクノロジーとの調和による希望ある未来像を模索しています。 複雑化し、分断が進む時代だからこそ、「人と社会のつながり」を再定義することが、人間本来の姿を取り戻す鍵になると信じています。