- 技術と人間
- 2025年6月24日
「本物」のゆくえ ──コピー可能な世界で信じる力とは
すべてが複製できる未来、本物を決めるのは信じる力だ。 記事要約 完璧な複製が誰にでも可能になる未来、私たちは「何を本物と信じるのか」という問いに向き合うことになる。モノの価値は見た目や機能ではなく、物語や想いを信じる力に移っていく。……
AGIが課題を最適化し尽くしたその時、最後に残るのは、
「私たちはどう生きたいのか」という問いである。
AI(AGI)の進化によって、作ることの苦労から解放される未来では、「どう判断し、どう関わるか」が人間の役割となる。これまで専門家に“任せていた”社会から、個々が意思決定に“関わる”社会へ移行する必要がある。その鍵となるのがDAO(分散型自律組織)であり、ブロックチェーン技術を活用して透明で自律的な合意形成の実現だ。DAOとAGIの補完関係によって、合理性と共感を両立した民主主義の新たな形が生まれる可能性がある。
私たちはこれまで、政治は政治家に、教育は先生に、経済は企業に──と、社会のさまざまな役割を「任せる」ことで、社会の仕組みを円滑に保ってきた。これは、意思決定を特定の立場や専門家に集約することで、社会の秩序や効率を“保つ”という考え方に基づいていた。だが、この構造は今、限界に直面している。
一斉のカリキュラムに従うだけの教育が、子ども一人ひとりの興味や個性を置き去りにしたり、企業が利益を優先するあまり、環境や労働者の生活が損なわれたり。あるいは、誰かが決めたルールが、多様化した現実の暮らしに合わなくなってきたり──「任せる」システムは、いたるところでひずみを生んでいる。
一方で、技術の進化は、「任せなくてもいい」社会の可能性を示し始めている。
経済の領域では、AI(人工知能)が人の代わりに文章を生成し、データを分析し、契約や法律文書の作成までも担うようになってきた。3Dプリンターを使って、必要な製品を自分で作れる時代も、すでに現実のものとなりつつある。
教育の分野でも、AIが一人ひとりの学び方に応じた教材を提供し、理解のつまずきを即座に補完するような、きめ細やかな“パーソナライズ教育”がすでに実用化されはじめている。教師に「任せる」時代から、学び手自身が能動的に関われる環境へと、少しずつ移行が始まっているのだ。
こうした世界では、「誰が作るか」ではなく「何のために作るのか」、「誰が教えるか」ではなく「どう学びを活かすのか」。そんな判断が、これからの社会のかたちを決めていく。
なぜなら、AIがどれほど優れたものを生み出せるようになっても、それを「どう使い、誰に届けるのか」といった価値選択は、依然として人間の意思に委ねられるからだ。
だからこそ、私たち一人ひとりが意思を持って参加し、何を優先し、どう選ぶのかという視点が、これまで以上に大切になっていく。
そして、この主体的な意思決定を、より民主的かつ効率的に社会へ実装するための鍵となるのが、DAOという仕組みである。
DAO、正式名称は「Decentralized Autonomous Organization(分散型自律組織)」。一言で言えば、「中央に指揮するトップがいない、みんなで運営する組織」である。従来のように、閉ざされた会議室での調整や忖度に頼るのではなく、あらかじめプログラムされたルール(スマートコントラクト)と、参加者の投票によって意思決定が行われる。
たとえば、資金の使い道やプロジェクトの方針について誰かが提案すると、参加者が投票し、賛成多数なら自動的に実行される。投票履歴や資金の動きはすべてブロックチェーン上に記録され、誰にでも見えるため、旧来の「不透明な会議」や「代表者への一任」とは異なり、参加者全員が自分の意志で運営に関われる、民主主義の新しい形とも言える。
しかし、DAOは魔法ではない。参加者が偏れば結果も偏り、投票率が低ければ活気は失われる。ルールが曖昧であれば混乱や対立も起こりえる。実際、多くのDAOが存在する中で、成功している組織は限られている。
たとえば、「Gitcoin DAO」は、世界中の開発者に資金を分配することでオープンソース技術の発展を支援し、公共財としてのソフトウェアを育てる仕組みを実現している。
「Uniswap DAO」は、分散型取引所の手数料やアップグレード方針をトークン保有者の投票で決定し、ユーザー自身がルールを形作るガバナンスモデルを運営している。
DAOが機能するためには、単なる技術的な仕組み以上に、「透明性」「自律性」「設計の質」「人間的ファシリテーション」といった多面的な条件が求められる。これらが欠ければ、理想通りには動かない。
だからこそ、DAOは現代社会を一足飛びに変える万能薬ではない。むしろ、現代社会の中でDAOはどこまで機能するか、その試行錯誤の真っ只中にある。それでも──この不完全さの中にこそ、未来の萌芽が宿っているのかもしれない。
「政治」は私たちすべてに関わるにもかかわらず、多くの人にとって遠く、分かりにくいものだ。数年に一度の選挙では、具体的な政策を細かく選ぶことはできず、選ばれた後の政治家の行動を追う手段も、実質的には限られている。
だがもし、政治家が掲げた公約が透明性の担保されたブロックチェーン上に記録され、その後の発言や活動、予算執行などが時系列で“見える化”されたらどうだろうか。「言ったこと」と「やったこと」が誰にでも追える仕組みがあれば、民意と実績のギャップを自動的に検出することもできる。
「公約管理DAO」や「政治家評価DAO」のような仕組みは、技術的にはすでに実現可能な段階にある。
さらに、ブロックチェーンの本人認証を活用すれば、国や自治体レベルの選挙はもちろん、地域の小さな合意形成、住民投票、政策アンケートまで、リアルタイムに意思を集めるインターネット投票も実現可能になる。
実際に、アメリカ・ワイオミング州では2021年に世界で初めて「DAO法人」を法的に認め、DAOが現実社会のプレイヤーになり得ることを示した。エストニアやスイスの一部地域では、住民参加型の政策決定や電子投票が進んでおり、DAO的な思考と制度が徐々に取り入れられている。
国家や企業が担う領域──たとえばエネルギー供給、教育、医療研究などは、本来すべての人に開かれているべきにもかかわらず、意思決定が一部の権力や営利目的に左右されやすい。こうした“みんなのためのはずの仕組み”において、DAOは中央集権の暴走や利権の入り込みを防ぎ、透明性と共創の文化を育む土壌となり得るのだ。
もっとも、DAOが今すぐ政治のすべてを置き換えるわけではない。多くの人が関心を持てずに傍観してしまえば、意思決定は機能せず、空洞化してしまう。あるいは、運営に長けた一部の人々が実質的な支配力を持つ構図に陥ることもあるだろう。
だからこそ、DAOに必要なのは単なる「透明性」や「平等な参加権」ではない。「思わず参加したくなる設計」と、「関わり続けたくなる文化」こそがカギになる。DAOの未来とは、技術だけでなく、人がどう関わり、どう活かすかにかかっている。「誰にでも開かれている」だけでは足りない。参加することが“特別な行為”ではなく“自然なふるまい”となるような社会設計こそ、これからの民主主義に求められている。
AIの進歩は目覚ましく、文章生成、プログラム記述、画像合成、仮説立案、医療診断など、ほんの数年前には「人間にしかできない」とされた知的作業が次々とAIに代替され始めている。2030年代の中頃には、AIがより高度に進化したAGI(汎用人工知能)が社会のあらゆる場面に本格的に浸透し、私たちの生活から「作る苦労」が減るであろう。
しかし、そうして「作る苦労」がなくなっていくと、次に問われるのは、「何を目的に作るのか」、そして「生まれた成果を、どのように使い、誰とどう共有していくのか」といった選び方や関わり方の判断である。
あらゆるモノが容易に手に入る時代には、それ自体の希少性よりも、「どう資源を無駄なく活用するか」「どんな目的を優先するのか」といった価値観や使い道に関する選択のほうが、はるかに重みを持ってくる。
ここで重要になるのがDAOである。AIは人間の代わりに情報を処理し、選択肢を整理し、最適解を提示できる。しかし、その最適解が『公共の倫理にかなっているか』『多くの人にとって受け入れられるか』という問いは、人間の合意と価値観の共有が必要になる。DAOは、その合意形成の場を提供する。
たとえば、ある地域で太陽光発電の余剰エネルギーが生まれたとしよう。AIは瞬時にデータを分析し、「最も効率的な配分プラン」を提示するだろう。だが、そこに弱者やマイノリティへの配慮が欠けていた場合、たとえ最適でも“納得”は得られない。
そのときに求められるのがDAOの役割だ。住民DAOが意見を交わし、投票や提案を通じて、単なる効率では測れない“人としての優先順位”や“地域に根ざした感覚”を反映させていく。AIが論理の道筋を示し、DAOが共感と合意の着地点を探る──そんな補完関係こそが、テクノロジーと社会をつなぐ新しい意思決定のかたちになっていく。
このように、AIは判断を支える知性となり、DAOはその判断を社会に実装する器となる。2030年代の中頃の社会は、おそらく「個人が自分の意思を表明し、それがAIの補助のもとで集約され、DAOによって実行される」という構図で動き始めるはずである。
そもそも現代の私たちは、「判断すること」に慣れていない。 責任を負うことへの不安、情報の過多と複雑さ、教育や社会構造によって育まれてきた“正解志向”の文化、そして変化の速さに伴う不確実性──こうした要因が、人々に「決めることを避ける」傾向をもたらしている。
たとえば、SNSで“空気”を読み、多数派に従って本心を言えなかったり、「難しいことは専門家に任せるべき」と判断の手放しが常態化したりといった現象は、その表れと言えるだろう。
だが、AIの普及によって“作る”が誰にでも可能になったとき、“どう決めるか”こそがその人の社会的役割となる。判断を避け続ける人は、やがて意思決定の場から遠ざかり、社会的な繋がりを感じにくくなるかもしれない。一方で、参加することで自分の居場所を実感できる人も増えていくはずだ。
この未来を迎える準備として、私たちは今のうちから「どう判断し、どう参加するか」を学ぶ文化を育てておく必要がある。
DAOはすべてを解決してくれる“魔法の仕組み”ではない。そこには設計の工夫、参加者の理解と関心、そして軌道修正を担う人間の知恵が求められる。
しかし、AIが当たり前に生活に入り、モノや情報の価値が誰にでも開かれていく時代には、「どう決めるか」「どう分けるか」「どう共に生きるか」という問いが、これまで以上に大切になる。その時、人々の手で意思を示し、ルールを作り、未来を築いていくための仕組みとして、DAOは有力な選択肢となるはずだ。
私は今、DAOを「正解」として語っているわけではない。ただ、「誰かに任せる」のではなく、「みんなで考え、みんなでつくる」社会の可能性を、DAOという仕組みが静かに照らし始めていることを伝えたかっただけである。
これからの社会にとって一番大事なのは、何を持つかではなく、どう関わるかではないだろうか。
AIやブロックチェーンといった技術の進化を、「人間の存在意義」や「社会のあり方」を見つめ直す契機として捉えています。 哲学、教育、芸術、感情など、人間的で本質的な領域を軸に、テクノロジーとの調和による希望ある未来像を模索しています。 複雑化し、分断が進む時代だからこそ、「人と社会のつながり」を再定義することが、人間本来の姿を取り戻す鍵になると信じています。